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アドルフ・ワーグナー (政治家) : ミニ英和和英辞書
アドルフ・ワーグナー (政治家)[いえ, け]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
政治 : [せいじ]
 【名詞】 1. politics 2. government 
政治家 : [せいじか]
 【名詞】 1. politician 2. statesman 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

アドルフ・ワーグナー (政治家) : ウィキペディア日本語版
アドルフ・ワーグナー (政治家)[いえ, け]

アドルフ・ワーグナー(Adolf Wagner、1890年10月1日-1944年4月12日)は、ドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党ミュンヘン・上バイエルン大管区指導者を務めた人物。
== 略歴 ==
当時ドイツ帝国領だったロートリンゲン地方アルグリンゲン(Algringen)、現在のフランスアルグランジュ (Algrange) の出身。実科学校で採鉱を学んでいたが、第一次世界大戦の開戦によりドイツ軍に従軍、右脚を負傷した。
戦後は炭鉱業に戻った。1922年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党した。ミュンヘン一揆の失敗後に一時投獄を受けた。1928年には上プファルツの行政官となった。1929年にナチ党のミュンヘン大管区指導者に任命された。ミュンヘン大管区は1930年にミュンヘン・上バイエルン大管区に改組されたが、ワーグナーが引き続き大管区指導者を務めた。1944年に死去するまで在職した。
ナチ党の政権掌握後、バイエルン州の副首相、内相に就任した(首相はルートヴィヒ・ジーヴェルト)。1936年にはバイエルン教育文化相に就任。突撃隊にも入隊しており、突撃隊における最終階級は突撃隊大将
1942年半ば頃からワーグナーは、重度の脳卒中になり、ほとんど活動できなくなった。ワーグナーと不仲だった総統官房長マルティン・ボルマンはこれを機にパウル・ギースラー()を代わりのミュンヘン・上バイエルン大管区指導者にしようと画策したが、ワーグナーは辞職を拒否し、大管区指導者の職務を執り続けた。アドルフ・ヒトラーは旧友を大事にする人物だったので、ワーグナーが大管区指導者職に在職することは認めたが、通常の政務はギースラーが行うべきであると指示している。
1944年4月12日に死去。国葬が執り行われ、ワーグナーにはヒトラーよりドイツ勲章が追贈された。しかしボルマンは後任のミュンヘン・上バイエルン大管区指導者となったギースラーにワーグナーの残した命令はすべて無視するよう命じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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